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God's Story(ゴッド・ストリー)

第四課

バプテスマとは何ですか?

主イエスは天国に帰られる前に、ご自分の弟子たちにこの大いなる命令をお与えになりました。「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ 28:19-20


イエスの命じられたとおりに、弟子たちは全世界に行って、福音を宣べ伝えて、その福音を受け入れた人々にバプテスマを授けました。バプテスマを授けることは主イエス・キリストご自身の命じられたことですから、以下の重要な質問と聖書の答えを考えましょう。


バプテスマの意味は何ですか

まず、バプテスマはキリストの命令に対する服従なのです(マタイ28:19)。バプテスマの目的は、肉体の汚れを取り除くためではありません(ペテロ第一3:21)。また、人は自分の罪から救われるために、バプテスマは必要ではありません。キリストの福音を信じることこそが、救いを得させる神の力なのです(ローマ 1:16)。この真実を、コリント第一 1:17と比べてください。「キリストが私をお遣わしになったのは、バプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるためです。」この節の書いてあるとおりに、バプテスマは、救いを得させる福音とは別のことです。そうならば、バプテスマの意味は何でしょうか。簡単に言えば、バプテスマはキリストを信じて救われた人の証しなのです。使徒の働き書8:26-39 を読んでください。エチオピアの女王の高官であるエチオピア人は馬車に乗って、旧約聖書のイザヤ書の53章を読んでいました。彼は心から真理を知りたかったので、神はピリポがエチオピア人に話すために、ピリポをお遣わしになりました。ピリポは、主イエスが罪人を救うために、十字架で死んで下さったことを彼に教えました。エチオピア人は主イエス・キリストを信じて、それからピリポにバプテスマを頼みました。エチオピア人はキリストを信じて、自分の救い主として受け入れたので、ピリポは彼にバプテスマを喜んで授けました。


次に、ローマ 6:3-5 で、聖書は次の大切な点を教えているのです。


※ バプテスマの水はさばきと死の象徴なのです。


※ キリストは私たちの罪のために死なれ、葬られ、そして墓の中からよみがえられました。


※ キリストは、罪人の身代わりとして死なれたので、信じる人はキリストとともに死んだ者とみなされるのです。言い替えれば、キリストが死なれたときに、キリストを信じている私も死にました。キリストが葬られたときに、私も葬られました。キリストがよみがえられたときに、私もよみがえりました。


※ ですから、キリストを信じる人がバプテスマを受けるのは、その人が自分の救いのためにキリストの死と埋葬とよみがえりを信じたことを人前で証しすることです。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ 2:20)


だれがバプテスマを受けるべきですか

上記の理由で、バプテスマを受けるべき人は、すでに信仰によってキリストを信じた人で、それを公的に知らせたい人なのです。


バプテスマの正しい方法は何ですか

使徒の働き書8:38-39、特に38節と39節をもう一度読んでください。「そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官にバプテスマを授けた。水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られたので、宦官はそれから後彼を見なかったが、喜びながら帰って行った。」確かに、聖書的なバプテスマの方法は、全体を水に浸すことです。「灌水」という水をかけたり、注いだりするのは聖書的なバプテスマではありません。


だれがバプテスマを授ける権威を持っているのですか

イエスは、マタイの福音書28:19-20で、あらゆる国の人々に福音を宣べ伝え、信じる人を弟子にして、バプテスマを授けるという責任を最初の「教会」であった集まっていた弟子たちに与えられました。この時代のために、神の御計画は、イエス・キリストの福音を宣べ伝える仕事が新約聖書時代の教会と等しい教会を通して実行されるということなのです。「教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。」(エペソ3:21)ですから、新約聖書の教えに従順な教会だけがバプテスマを授ける権威を持っています。(第五課で「教会」という話題をもっと詳しく勉強します。)

教会時代の初めに、キリストを信じる人はバプテスマを受けてから迫害されたか、あるいは殺されたことが多かったのです。それにもかかわらず、ほかの人々はキリストを信じて、最初の殉教者たちの代りになりました。現代、多くの国で、バプテスマを受けることはひどい迫害の導火線となっています。そのような国で、人がただ口頭でキリストを告白するだけである限り、大目に見られるでしょう。しかし、その人がバプテスマによって公的にキリストを告白すると、キリストの敵はその人に対する大きな反対を始めます。


けれども、どんな犠牲を払っても、聖書的にバプテスマを受けるすべての人は、あのエチオピア人の経験を同じように楽しく味わうのです。彼は、「喜びながら帰って行った。」(使徒8:39)。


「あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行なうときに、あなたがたは祝福されるのです。」(ヨハネ13:17)。

第四課の試験