第一課 新生の結果

Q 人は「新しく生まれる」とき、本当に何が起こるのでしょうか。

A 最初に、人は、自分が失われた罪人であり、永遠に地獄で天罰を受けるのは当然であると認めるのです。(神である聖霊が聖書を通して教えて下さらなければ、人は自分でこの真実を認めることは出来ません。)それから、自分の罪を悔い改めるのです。言い替えれば、人は自分の罪に対する考えと、神に対する考えとを変えるのです。自分の罪深い、望みのない、無力な状態を理解して、自分の救い主としてイエス・キリストを受け入れるのです。そうすれば、人は新しく生まれ、その罪が赦され、神から永遠のいのちをいただくのです。

しかし、それは新生の初まりにすぎません。聖書は、神が人をお救いになるとき、多くのすばらしい事が起こる、と教えているのです。以下の驚くべき事実を考えてください。

キリストを信じる者は、神の子どもとされるのです(ヨハネ1:12)。もしあなたが地上にいる有名な王の子どもにされたとしたら、なんと大きな光栄だろうと思いませんか。だとすれば、天使たちの礼拝をお受けになる宇宙の創造者である神の子どもとされるのは、なおさらのことではありませんか(ガラテヤ 3:26)。

キリストを信じる者は、神に義と認められるのです(ローマ 5:1、8:30、コリント第二 5:21)。正しい審判者である神は、イエス・キリストを信じる人を「義と認められた」と宣言され、その人が一度も罪を犯さなかった人のように見なされるのです。キリストは罪人の私たちの身代わりとして、私たちの受けるべき天罰をすでに経験されました。こういうわけで、キリストを信じる者は神の御前に「無罪」とされます。また自分の罪に定められることは決してありません(ローマ 8:1)。

キリストを信じる者は聖霊の宮とされます(コリント第一 6:19 )。聖書は、聖霊である神がキリストを信じるすべての人の中に実に住んでおられることをはっきりと教えているのです(ヨハネ第一 4:13 )。クリスチャンの体は聖霊の宮なのです。このような神聖な特権のために、神の子どもになった信者は、何を言うのか、何を行なうのか、どこへ行くのかということに注意しなければなりません。

キリストを信じる者は神の家族の一員になります(ヨハネ1:12 )。それから聖書的にバプテスマを受けて、聖書を忠実に教える地方教会のメンバーになることが出来ます(使徒 2:41と47、また第四課をご覧ください)。コロサイという町の地方教会が「キリストのからだ」と呼ばれているのと同じように、キリストを信じる人は地方教会のメンバーになることによって、「キリストのからだ」の一つの部分になることが出来るのです(コロサイ 1:18と24 )。

キリストを信じる者は神の相続人になります(ローマ 8:17 )。神は宇宙の創造者であり、万物の所有者であられます。神は、神の子どもたちがいつかキリストとともに治めて、万物を所有するということを、約束されたのです。

キリストを信じる者は聖徒になります。聖書で、キリストを信じて救われた者は「聖徒」と呼ばれています。聖徒とは、イエス・キリストにあって聖別された者です。神の御前に、キリストを信じて救われた人はみな聖徒なのです。なぜなら、神は、罪のない聖なるイエス・キリストを通してすべてのクリスチャンをご覧になるからです(コリント第一 1:2 )。

キリストを信じる者は「キリストにあって、満ち満ちているのです」(コロサイ 2:10 )。キリストを信じて救われた者は、キリストによって完全に救われたのです。キリストを持つ者は、幸いな生活と永遠のいのちを得るためのすべてを持っています。

キリストを信じる者は新しい性質を受けるのです(ペテロ第二 1:4 )。人はキリストを信じると、新しい希望、新しい目標、罪に対する新しい憎しみ、キリストの信者たちに対する新しい愛などを初めて持つようになるのです。キリストの信者はこの新しい性質に従えば従うほど、主イエス・キリストに似るようになります。(コロサイ 3:10 、コリント第二 3:18 )。これは、神の一人一人の子どもたちのための、神の御計画なのです。

キリストを信じる者は、直ちに神の保護を受けるのです(ローマ 8:28 )。神の許可なしで、クリスチャンに何も起こることはありません。言い替えれば、クリスチャンの生活には、「偶然の出来事」ということはないのです。神の子どもに起こるすべてのことは、益となります。苦難、艱難、迫害を受けることさえも、クリスチャンのためには益となるのです(ローマ 5:3-5)。

それゆえに、本当のクリスチャンはまことにすばらしい生活を持っています。すべてのクリスチャンは、神が与えられたこれらのすばらしい約束を頂いているのですから、以下のことによって神に感謝すべきです。
※ 主イエス・キリストを通して受けた救いをいつも神に感謝すべきです。
※ 十字架でご自分のいのちを捨てられたキリストの奉仕のために、自分の一生を捧げるべきです(ローマ 12:1)。

第一課の試験