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第一課 神が世に入られたとき
この福音書で、ヨハネは主イエス・キリストの生活について語っています。神の御子息は、人間にご自分の父について話すために、この世に来られました。キリストが、「神のことば」と呼ばれるのは、神がご自分の代弁者キリストによって、人間にお話しになるからです。この福音書にあるキリストの声を聞く人が、神のことばを聞く人なのです。
神のことばの来られる以前
(1~5節)
私たちは、この世界の造られた日付を正確には知らないのですが、昔に起こりました。この世界の初めよりずっと前に、そのことばが神とともにおられました。そのことばは神の御子息と呼ばれることもあります。初めからそのことばは神とともにおられました。
神を造った者はありません。神には初めはないのです。神がその御子息を造られたのではありませんでした。初めにおられた神であることばは、神の御子息と呼ばれることもあります。神は万物を造られました。見える物も、見えない物も、すべては神によって造られたのです。御子息である神が万物を造られました。(3節)それゆえ、私たちは、神がその御子息を造られなかったことも、その御子息が存在する物をすべて造られたことも知っているのです。
そのことばは、人々に神への道を教えて下さるので、光という御名で呼ばれることもあります。
神のことばが世に来られたとき
(6~18節)
偉い王が旅行をしようと思うとき、自分の到来を発表するために、自分のしもべや代弁者を先に遣わします。神はことばをこの世にお遣わしになったとき、人々に神の御子息の到来を発表するために、バプテスト・ヨハネという預言者を先に遣わされました(6節)。バプテスト・ヨハネはその光ではなく、ただその光について証するために遣わされたのです。彼はすべての人がキリストを信じてほしいと願ったのです。
神の御子息であるキリストは天地を創造されました。けれども、キリストがこの世に来られたとき、ご自分の民はキリストを受け入れず、またキリストがどなたであるのかも分かりませんでした。しかし、キリストを受け入れた人々も、また現在キリストを受け入れる人々も神の子どもとされます。人は新しく生まれる(神の子どもになること)ために、キリストを受け入れる必要があります。それはキリストの御名を信じることです。キリストの御名を信じる者はみな、神の子どもになるための特権をいただきます(12節)。たとえあなたの両親がキリストを信じて神の子どもであっても、あなたは神の子どもではないかもしれません。人は自分自身の努力によって自分を神の子どもにすることは出来ません。地上には、あなたを神の子どもにすることが出来る者は一人もいません。キリストを信じて受け入れることのほかに、神の子どもになる方法はないのです。
「あなたがた全員、キリスト・イエスに対する信仰を通して、神の子どもです。」(聖書のガラテヤ書 3章26節)。「あなたがたが新しく生まれたのは、腐る種からではなく、腐らない種からです。神の永遠に生きる、そして過ぎ去らない御言葉を通してです。」(聖書のペテロ第一書1章23節)。「その人々は、血から生まれたのではなく、肉の意志や、人の意志からでもなく、神によって生まれたのである。」(ヨハネ福音書1章13)