指示
マルコの福音書の1章を読んで下さい。
このページの第一課を読んで下さい。
必要なら、用語解説を引いてください。
第一試験の質問に答えて下さい。
聖書は、まことの神が唯一であり、創造者として宇宙を保っておられるお方であられると教えているのです。神は唯一ですが、三つのお方の形で存在しておられます。すなわち、父なる神、御子息なる神(イエス・キリスト)、聖霊なる神と呼ばれているのです。御子息なるイエス・キリストは唯一の神ですが、世の人々をその罪から救って下さるために、父なる神に仕えるしもべの姿を取り、人間のように肉体を持った方になられました。マルコの福音書は、神のしもべなる主イエス・キリストの記録です。
キリストのバプテスマ
(1~11節)
1章の1~11節で、ヨハネがヨルダン川で人々にバプテスマを授けていたという記事を読みます。聖書によれば、バプテスマという儀式の目的は、人が自分の罪から赦されるためではなく、かえって人がイエス・キリストを信じてから、ほかの人にその信じることを明らかにする証です。バプテスマを受ける人は、そのバプテスマによって、すでにイエスを信じて、自分の罪から赦されたのだということを証します。
ある日、キリストはヨルダン川の方にバプテスマを受けるために行かれました。イエス・キリストは罪のない神の御子息なので、キリストのバプテスマの意味は私たちの場合とは違いました。キリストのバプテスマの目的は、まことの神の御子息であることを明らかに宣言するためでした。キリストがバプテスマを受けられると、神は天国から話し、ご自分の御子息を喜ぶと言われました。その後、サタンがキリストに罪を犯させようとしましたが(12、13節)、キリストは一度も罪を犯されませんでした。
最初の弟子たち
(14~20節)
それから、イエスは四人の男の人を選んで、呼び寄せられました(14~20節)。それは、彼らがイエスに従って、神のしもべになるためでした。彼らは何もかも捨てて、イエスに従い始めました。彼らは神の真理を学んで、キリストのしもべになりたかったのです。
病人を癒して下さること
(21~45節)
イエスはカペナウムという町で会堂に入り、汚れた霊に憑かれた男の人を癒されました。それから、家に入ると、熱病で苦しんでいるペテロの妻の母親に会い、その手を取り、彼女を起こされました。すると、その熱病が直ちに去ってしまいました(21~31節)。その後、人々はイエスのお助けを求めに来ました。イエスは大ぜいの人を癒して下さいました。神は人を愛し、神のしもべなるイエスも人を愛しておられます。
らい病にかかっているひとりの人がイエスの身元に来ました。らい病はひどく不快な病気です。らい病にかかった人は自分の身を治すことは出来ません。神の律法に従わず、罪を犯したすべての人はらい病人のようです。すべての人は罪人で、その罪の結果から救われる必要があるのです。
そのらい病人はキリストの身元に来ました。彼は、「ご自身のみ心なら、わたしを清くして下さることが出来ます。」とイエスに言いました。この出来事によって、キリストが彼を愛し、癒す力を持っておられたことが分かります。神は罪人の私たちをも愛し、キリストを通して、私たちをその罪の結果から救って下さることが出来ます。