指示
マルコの福音書の2章から3章まで読んで下さい。
このページの第二課を読んで下さい。
必要なら、用語解説を引いてください。
第二試験の質問に答えて下さい。
中風の人を癒して下さるイエス
(2章の1~12節)
2章で、神の偉大なしもべは、もうひとりの病人を癒されました。しかしながら、その病人の最も必要としていたことは赦しでした。こういうわけで、5節に、イエスは、「あなたの罪は赦されました。」と言われたのです。ユダヤ人たちは、まことの神以外には、罪を赦すことが出来る方はいないということを知っていました。しかし、彼らは、イエスが神の御子息として、罪を赦す権威を持っておられるという事実を無視してしまいました。彼らはキリストを憎んでいたわけです(7節)。
主(イエス)は病人を癒し、彼の床を運んで家に行かせることによって、非難をする人に返答しておられました。それを見て、とても驚いた人々もいましたが、イエスに一層うんざりした人々もいました。彼らは、キリストが罪深い人と一緒に食べることも(16節)、その弟子たちに断食するように要求しないことも非難しました(18節)。
安息日の論争
(2章の23~28節)
ユダヤ人の休む日、ある安息日に、イエスとご自分の弟子たちは麦畑を通って行きました。おなかがすいていたので、弟子たちは穂を摘み始めました。ユダヤ人の宗教指導者であるパリサイ人たちはこれを見て、安息日にこのことを行うのが罪であると信じました。しかし、イエスは、自分が安息日の主であると言われました(28節)。週に一日休むのは良いことですが、人はこのような律法を守ることによって自分の罪から赦されることは出来ません。神は私たちを愛されますが、私たちはキリストが私たちの罪のために死んで下さったと信じる場合に限り、私たちを赦して下さるのです。
3章には、自分の手を使えないひとりの男の人がいました。ユダヤ人たちは、イエスが安息日に彼を癒すかどうか、じっと見ていました。イエスは彼らに、「安息日に、善を行うのは合法的ですか。」と尋ねられました。彼らは答えようとしませんでした。彼らが信じたくなかったので、キリストはお怒りになり、嘆きながら彼らを見回しておられました。それにもかかわらず、大ぜいの人はキリストの話を聞くためにそのあとについて行き、さらにそのうちの多くの人はキリストを信じました。
今もなお、キリストに逆らって話している大ぜいの人がいますが、キリストは神の完全なしもべとして、神の意志を忠実に行われるお方です。神を愛する者、天国へ行きたい者はみな、キリストを通してでなければなりません。ほかの道はありません。今までもほかの道はなく、とこしえまでもキリストのほかに、天国へ行く道はありません。
イエスのご家族
(3章の31~34節)
31節から35節まで、イエスの母と兄弟たちがイエスを訪ねて来るのを読みます。イエスは、神の意志(みこころ)を行う人はだれでも、イエスの兄弟、姉妹、また母であると言われました。私たちが神の家族に入るために、キリストを必要としているのです。