指示
マルコの福音書の10章を読んで下さい。
このページの第八課を読んで下さい。
必要なら、用語解説を引いてください。
第八試験の質問に答えて下さい。
この世には、富む者も貧しい者もいます。偽りを教えて、金持ちになる教師もいます。神の御子息は世に来られる前に天におられたとき、無制限の富と栄誉をお持ちでした。しかしイエスは、この世に来て、私たちの救い主になられるために、その富と栄誉をすべて捨てられました。大工さんとしてお働きになりました。イエスはいつも貧しいお方であられましたが、神の真理を教えられました。
10章で、結婚(1~12節)と子どもたち(13~16節)とにつくイエスの教えを読みます。これらの節をていねいに読んで下さい。
ある金持ちが来て、永遠のいのちを受けるためには、何をしなければならないのかと、イエスに尋ねました。イエスは、彼が神の戒めを守らなければならないと言われました(19節)。この金持ちは、自分がいつも神の戒めに従っていると思いましたが、実は彼は神より金を愛してしまいました。彼は、「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」という神の命令を犯しました。彼の愛する神は、まことの神ではなく、金銭でした。人は、自分の努力で神の戒めをすべて守ることによって、永遠のいのちを得るのは不可能なことです。神がご自分の戒めの律法を与えられたのは、人が自分の罪深い状態を認めて、キリストの救いにだけ頼るためでした。イエスはその金持ちを愛し、彼に真実にお話しになりましたが、彼は悲しみながら立ち去りました。イエスはご自分の弟子たちに、富に頼る者が神の国(天国)に入ることは、何と難しいことか、と言われました。しかし、「どんなことでも、神にはできるのです。」(27節)。キリストは人を救って下さることが出来ます!
キリストは私たちを救うためにすべてを捨てられました。また、私たちがキリストに従うために喜んですべてを捨てる心があることを望んでおられます。28節で、ペテロは、弟子たちがイエスに従うために何もかも捨てた、と言いましたが、ヤコブとヨハネは、キリストとともに支配する高い地位がほしいと願ったのです(35~37節)。主イエスは彼らにそのような約束を与えられませんでした。
その後、盲人のこじきは、エリコの近くの道端に座っていました。群衆は、彼がイエスに近づくことを妨げましたが(48節)、イエスは立ち止まり、彼に視力を与えて下さいました。
今もなお、多くの人は、ほかの人がキリストに近づいて信じることを妨げようとしています。けれども、キリストはなお、人々が悔い改めて、キリストに従うように、呼んでおられます。もしあなたはイエス・キリストを呼び求めるならば、キリストは必ずあなたをお助けになります。キリストはその盲人に富を与えられませんでした。富よりもたいへん価値のあるものを与えられました。キリストはあなたに罪の赦しと永遠のいのちをお与えになりたいのです。
キリストは私たちにいのちをお与えになるために、ご自分のいのちを捨てられました。私の罪のためにお死になりました。罪人として、あなたは自分の罪の負債を神に支払うことは出来ませんが、キリストはすでにその負債を支払って下さいました。キリストはその支払いを完全に果たされましたので、あなたは自分の罪を悔い改めてキリストを信じ受け入れるならば、永遠のいのちを持って、まことの神によって救われるのです。