この主題の前置きとして、この大切な事実を思い出してください。人はキリストを信じて救われると、同時に神の子どもになります(ヨハネ1:12-13)。人種、皮膚の色、あるいは文化にかかわらず、主イエス・キリストのすべての信者は、神の家族を構成します。
キリストは、死者の中からよみがえられた後、天国にお帰りになることに備え、福音を全人類に宣べ伝える責任を弟子たちに委任されました。キリストはご自分の地上の務めの間にこれらの弟子たちによってご自分の教会を組織されました。あなたは、「教会」という言葉を聞くと、ある建物を連想するでしょう。実は、教会は建物ではありません。聖書的な教会は、主イエス・キリストの大いなる任命を果たすために、キリストを受け入れた人たちとして、聖書的なバプテスマを受けた信者たちによって組織された集まりなのです。聖書には、「教会」という言葉が100 回以上出てきます。ほとんどこれらのすべての参照で、「教会」はクリスチャンたちがある地方で定期的に集まっていたことを教えているのです。この時代には、神は聖書的な諸教会を通してご自分の御計画を果たしておられます。「教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。」(エペソ3:21)。
教会時代の初めのころ、信者たちは自分自身の家で集まりました(ローマ16:5、ピレモン2節)。彼らは、「使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。」(使徒2:42)。
主イエスが、クリスチャンたちが地方教会のメンバーとして、定期的に集まるのを望んでおられることは、聖書の中で明らかなのです。ヘブル書10:25には、次の大切な戒めが書いてあります。「ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。」さらに、新約聖書の大部分は、「キリストのからだ」と呼ばれる地方教会員の特権と責任を教えることを特に強調しているのです(例 コリント第一 12 章)。
しかし、現代のクリスチャンは、どの教会のメンバーになるべきか、という問題があります。次の大事なことを覚えてください。ある宗派が自分たちを「キリスト教」と呼ぶからと言って、その宗派の教えがまことのキリスト教であるとは限りません。キリストを信じたばかりのクリスチャンがまことのキリスト教を教えるまことの教会と、そうではないものを識別できるために、次のリストを集めて編集しておきます。あなたはこれらの点を考えながら、神が導いて下さるように心から祈ってください。どの教会が正しい教会であるかという決断は聖書に基づかなければなりません。人間の習慣と伝統は聖書と一致する場合に限り、従われるべきです(イザヤ書 8:20 )。
あなたの出席する教会が、聖書を神の表われたみことばであると教え、そして教会の教義のすべてを全く聖書に基づかせていることを、確認してください。残念ながら、聖書の代りに人間の考え出した習慣に従ってしまう教会が多いですから、よく注意してください。まことの教会はその教えをすべて、人間の習慣あるいは伝統にではなく、聖書の権威に基づかせるのです。
あなたの出席する教会がイエス・キリストの性質に関してはっきりした、曖昧でない立場を守ることを確認してください。キリストが立派な人とか神の預言者であったことを信じている人々が多いのです。しかし、キリストが世の創造者であり、まことの神であられると信じない教会は、まことの教会ではありません「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。」(コロサイ2:9)。
確認しなければなりない三番目の点は、キリストの務めに関することです。聖書は、キリストが罪を犯さずに生活されたこと、十字架で全人類の罪のために進んで死なれたこと、葬られたこと、死者の中からよみがえられたこと、天に上られたこと、今父なる神の御座の右で信者たちのためにとりなしていて下さることを、教えているのです(コリント第一 15:1-40)。人が自分の罪から救われるのは、良い行ないとか自分の努力によってではなく、イエス・キリストに対する信仰を通して神の恵みによるだけです(ローマ 3 章、ガラテヤ 1:6-9)。あなたの出席する教会が、人をその罪から清めて下さるのが、キリストの尊い血である、と教えていることを確認してください。キリストの血が注ぎ出されたことがなければ、罪の赦しは決してないのです。
あなたの出席する教会の教義と立場が新約聖書時代の諸教会にさかのぼることを確認んしてください。キリストの時代から今まで、間違った教義の改革者として、あるいは新しい真理を教える教師として、新しい宗派を作った人々が多いのです。神は完成された聖書によって最初の諸教会にご自分の真理を完全に現わして下さったので、現在の私たちは新しい教義とか啓示を求めてはなりません。もし、ある教会とか宗派の教えと立場が一人の人間にさかのぼるならば、それを避けた方が良いのです。
この四つの点のほかに、あなたの出席する教会が聖書のはっきりした教えに逆らわないことと、以下の大事な点を守ることを確認してください。
※ キリストが教会のかしらであられます(コロサイ 1:18-19、エペソ1:22-23)。キリスト以外には、だれひとりこの地位を主張する権威を持っていません。キリストが教会のかしらであられると認める教会は、教えと導きのために、キリストにだけ頼ります。
※ キリストを信じる人はみな神の子どもです(ヨハネ 1:12-13)。しかし、聖書的な教会のメンバーになるために、聖書的なバプテスマを受けなければなりません。
※ 聖書には、キリストを信じるすべての人は「祭司」と呼ばれると書かれているのです(ペテロ第一 2:5、9)。新約聖書には、「聖職者」と「平信徒」の間の区別はありません。キリストを信じる人はだれでも、神と人との間の仲介者なるイエス・キリストを通して祈りによって直接に神の御前に近寄ることが出来ます(テモテ第一2:5、ヘブル 4:16)。すべてのクリスチャンは賛美、礼拝、奉仕などを神に捧げることが出来ます。教会の初めのころ、諸教会のメンバーはみな、聖書を勉強したり、福音を宣べ伝えたり、一生懸命神に仕えたりしました。現在の聖書的な教会もそれと同じであるべきです。