第六課 誘惑に対する勝利

Qクリスチャンはどのように罪の誘惑に抵抗できるのでしょうか。

A善と悪の戦いは、人が救われるとすぐに始まるのです。人は生まれ付き罪の性質を持っています。人はキリストを信じて救われるとき、神のご性質にあずかる者となります。しかし、罪の性質はまだ残っています。クリスチャンの中にある神のご性質は罪を憎み、善を愛しますが、人の罪の性質は神の権威に反抗するのです。絶え間のない戦いがこの二つの性質の間で激しく続きます(ローマ 8:5-8 、ガラテヤ 5:16-17)。

人の罪の性質は矯正不能なほど悪いものです。その性質は改良されることはできず、クリスチャンが天国に着くまで、取り去られることもありません。神は、キリストが十字架で死なれたとき、罪を処罰されましたので、クリスチャンが自分の罪の性質が死んでいるかのように扱うことを望んでおられます。あなたの罪の性質を助長してはいけません。それを満足させてはいけません。罪を犯すための機会を与えてはいけません(ローマ 13:14)。救われるときに頂く、神のご性質はクリスチャンが神に従う願いを抱かせるのです。クリスチャンはその「新しい人」と呼ばれる性質を助長して、満足させなければなりません。

クリスチャンが罪の誘惑に抵抗する方法はこれです。すなわち、自分の「古い人」と呼ばれる罪の性質を拒んで、自分のうちにある「新しい人」と呼ばれる性質を満足させることです。次の点は、あなたがどのようにこれを果たすことが出来るかを教えるいくつかの実用的な提案です。

 
聖書を読んで、勉強し、記憶して、深く考えて、服従しなければなりません。今、詩篇119:9-11を読んでください。これらの節で、人がどのように罪を避けるべきかを学びます。毎日神のみことばを読むために、時間を取らなければなりません(コロサイ3:16)。

 祈らなければなりません。あなたが誘惑されるときはいつでも、神が助けて下さるように祈ってください(ヘブル 4:16)。神はあなたに誘惑を征服する力を与えて下さるのです(コリント第一 10:13)。もしあなたはあなた自身の力で誘惑に抵抗しようとするならば、間違いなく失敗するのです。

 罪深いライフスタイルで生活している人々ではなく、他のクリスチャンたちと交際しなければなりません(箴言 1:10-16、ヘブル 10:24-25)。しかし、私たちは未信者と一緒に働いたり、暮らしたりすることが多いかもしれません。この場合は、クリスチャンは自分の言う言葉と日常生活の行為によって、「私は主イエス・キリストに従っているクリスチャンです」ということを明らかにすべきです。キリストに救われたクリスチャンはこの世の罪の楽しみと堕落に参加してはいけません(エペソ 5:11)。

 あなたの罪をすぐに神に告白しなければなりません。あなたは、あなたの天におられる父なる神の戒めを破ったことに気づくとすぐに、神の赦しを願うべきです。その日の終わりまで、あるいは週の終わりまで待たないでください(箴言28:13)。

 主イエス・キリストに仕える機会を求めて、その奉仕で忙しく続くべきです。ある人が言ったとおりに、「のらくらしている者の精神が悪魔の職場である」のです。神がご自分のみこころどおりにあなたを使うように、あなたの精神と体を神にささげてください(ローマ 6:19)。すべきことが多くあり、そしてあなたは王の王イエス・キリストに仕えているのです。

 あなたの「古い人」と呼ばれる罪の性質に全く屈してはいけません。あなたが何を読み、何を見、何を聞き、どこに行くのかということに注意してください(コロサイ3:5-9)。

 あなたの「新しい人」と呼ばれる性質を満足させなければなりません。キリストに専心してください。キリストについて考えている間に、同時に罪を考えることは出来ません(コロサイ 3:10-17)。あなたの精神をキリストに占領していただくことこそ、聖なる人生の秘訣なのです。人は、自分が拝むもののようになるのです。これは人生の法則です。

私たちは、鏡である聖書を通してキリストを見る限りにおいて、キリストのようになるのです(コリント第二 3:18)。

最後に、注意のことばを考えて頂きたいのです。あなたは上記に書いてある説明を考えたならば、誘惑の力からの自由がただ一度の経験ではなく、神に頼る絶え間のない過程である、と認めるでしょう。あなたがどれほど長い間クリスチャンであったか、あるいはどれぐらい聖書について知ったか、それは問題ではありません。あなたはキリストから目を離すならば、誘惑に降参する危険があるのです(コロサイ 3:1-4)。

第六課の試験