指示
マルコの福音書の4章を読んで下さい。
このページの第三課を読んで下さい。
必要なら、用語解説を引いてください。
第三試験の質問に答えて下さい。
第一課、第二課のレッスンを読んで、神のしもべイエス・キリストが病人を癒して下さったことを学びました。しかし、人々には、健康な体よりもっと大切な必要があります。すなわち、まことの神を知って、神が人々に何を要求していらっしゃるのかを知る必要があります。こういうわけで、この章で、主イエス・キリストは多くのことを教えられました。
種を蒔く人のたとえ話
(1~20節)
イエスが種を蒔く人のたとえ話を教えられたとき、大ぜいの人が岸べで集まっていました(1~9節)。その後、イエスはご自分の弟子たちにもっと詳しく説明されました。いくらかの種が道端に落ちました。すると、鳥が来て、それを食い尽くしました。これは、人が福音を聞いても、その意味が分からないことをあらわしています。サタンがそのことばを持ち去ってしまうのです。サタンは神を憎み、人をも憎むのです。サタンは、神のことばが人の心に入るのを望んでいないのです。
いくらかの種は土の少ない石地に落ちました。土の深さがなかったので、直ちに芽が出て伸び上がりました。しかし、日が上ると、焼けて、根がなかったので、枯れてしまいました。これは、人が喜んで福音を聞いても、苦悩あるいは迫害が生じると、福音を捨ててしまうという意味です。
いくらかの種はいばらの中に落ちました。しかし、いばらが伸び上がって、種を枯らしたので、何も実を結びませんでした。これは、人が福音を聞いても、この世の心遣い、富の欺き、他の物の欲望などがその人の心に入り込んで、福音のことばを窒息させて、心から追い出してしまうことをあらわしています。この世の物と快楽とを愛することは、福音を受け入れるのを妨げることです。
いくらかの種は良い地の上に落ちて、実を結びました。あなたが神のことばを聞いたり読んだりするとき、そのことばが分かって、受け入れるために、祈りによって神に願って下さい。そうすれば、そのことばはあなたの生活に利益を生じさせるのです。
風と波をお静めになったキリスト
(35~41節)
イエスとご自分の弟子たちは舟に乗って、湖の向こう側に渡り始めました。大きな暴風が起こり、波が舟に打ち込みましたが、キリストは宇宙の万物を治める支配者ですから、恐れずに舟の後部で眠っておられました。弟子たちは非常に恐れて、イエスを起こすと、イエスは御子息なる神として、風を叱責されました。すると、風がやみ、大凪になりました。
人生の困難のときに、イエス・キリストのほかに、まことの心の平安を与える方はありません。あなたも今、キリストを仰ぎ見て、あなたの罪から赦され、救われ、永遠の喜びと平安を得るために、キリストを信じて下さいませんか。
マルコによる福音書4章
4:1 イエスはまた湖のほとりで教え始められた。おびただしい数の群衆がみもとに集まった。それでイエスは湖の上の舟に乗り、そこに腰をおろされ、群衆はみな岸べの陸地にいた。
4:2 イエスはたとえによって多くのことを教えられた。その教えの中でこう言われた。
4:3 「よく聞きなさい。種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
4:4 蒔いているとき、種が道ばたに落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。
4:5 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
4:6 しかし日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
4:7 また、別の種がいばらの中に落ちた。ところが、いばらが伸びて、それをふさいでしまったので、実を結ばなかった。
4:8 また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」
4:9 そしてイエスは言われた。「聞く耳のある者は聞きなさい。」
4:10 さて、イエスだけになったとき、いつもつき従っている人たちが、十二弟子とともに、これらのたとえのことを尋ねた。
4:11 そこで、イエスは言われた。「あなたがたには、神の国の奥義が知らされているが、ほかの人たちには、すべてがたとえで言われるのです。
4:12 それは、『彼らは確かに見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることのないため。』です。」
4:13 そして彼らにこう言われた。「このたとえがわからないのですか。そんなことで、いったいどうしてたとえの理解ができましょう。
4:14 種蒔く人は、みことばを蒔くのです。
4:15 みことばが道ばたに蒔かれるとは、こういう人たちのことですみことばを聞くと、すぐサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを持ち去ってしまうのです。
4:16 同じように、岩地に蒔かれるとは、こういう人たちのことですみことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが、
4:17 根を張らないで、ただしばらく続くだけです。それで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
4:18 もう一つの、いばらの中に種を蒔かれるとは、こういう人たちのことです。みことばを聞いてはいるが、
4:19 世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望がはいり込んで、みことばをふさぐので、実を結びません。
4:20 良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちです。」
4:21 また言われた。「あかりを持って来るのは枡の下や寝台の下に置くためでしょうか。燭台の上に置くためではありませんか。
4:22 隠れているのは、必ず現われるためであり、おおい隠されているのは、明らかにされるためです。
4:23 聞く耳のある者は聞きなさい。」
4:24 また彼らに言われた。「聞いていることによく注意しなさい。あなたがたは、人に量ってあげるその量りで、自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます。
4:25 持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っているものまでも取り上げられてしまいます。」
4:26 また言われた。「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、
4:27 夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。
4:28 地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実がはいります。
4:29 実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです。」
4:30 また言われた。「神の国は、どのようなものと言えばよいでしょう。何にたとえたらよいでしょう。
4:31 それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときには、地に蒔かれる種の中で、一番小さいのですが、
4:32 それが蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」
4:33 イエスは、このように多くのたとえで、彼らの聞く力に応じて、みことばを話された。
4:34 たとえによらないで話されることはなかった。ただ、ご自分の弟子たちにだけは、すべてのことを解き明かされた。
4:35 さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう。」と言われた。
4:36 そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。
4:37 すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって水でいっぱいになった。
4:38 ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」
4:39 イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。
4:40 イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」
4:41 彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った、「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」